最近の贅沢

  • たまの贅沢

と称しているもの。
あらかじめ切ってある刺身を買って帰り、それ用に合わせたタレに数十分~二時間ほど漬け込む。
あつあつのごはんを丼に盛って、そこにツマをのせた上に漬けた刺身を並べ、最後に上から余ったタレをかけていく。好みでわさびも。
エッセイ本、南極料理人で豪華な漬け丼のレシピを知ってから、たまに刺身を買ってくるときは、漬け丼の日。

 

  • ファンタスティックビースト

某サービスに加入しているおこぼれで観た。
どんな内容なのかあまり事前調査をせず、ただ映画に収録されている内容だけをたのしむというスタイルで観た。
スキャマンダー先生が、現実の生物学者たちと同じで人間<魔法生物でとても嬉しかった。
映画に登場するオリジナルの生物というのは大概が不気味の動きをすることが多かったけど、この映画に登場する魔法生物はみんな何の不気味さもなく、むしろかわいい。
本編のあとに流れた制作サイドのインタビューや制作秘話で、実在している動物を意識したこと、スキャマンダー先生役が獣医(だったと思う)などに話を聞きに行ったこと、それらが集約されているから、不気味さがないのだとわかった。

 

  • 猫の通勤ラッシュ

目の前をさっと通り過ぎる、しっぽが短く、ぼきぼき折れてる、三毛猫。
家と家の間の、細い道(住人が勝手口から表に出る道と思われる)の奥に行ってから、ふとうしろを振りかえる。
そういうものを見た。

 

  • 銀座に行った

銀座は数回だけ、しかも目的の場所以外には行ったことがない。
いつかあこがれの銀ブラをしてみたい。
ということで先日、銀座に行った。目当ては資生堂だったけれど生憎改装中。化粧品など商品は売っているということで前から気になっていた香水を見た。
セルジュ・ルタンスの香水。
わたしは以前、このブログでセロファンの月と書いた。
そしてセロファンの夜を選び持ち帰って、いま手元に置いてある。
セロファンとは月のことではないだろうけれど、おやと思っていまこうして書いている。
さて、香水というとなかなかついて取れないほど濃い存在感のあるものが香水だと思っていたが、このブランドの匂いは空気のように存在し、つけている人に一体化することを望むかのようなそういった形の上品な薄さを感じた。
複雑すぎるわけではないから求める香りを探しやすいし、アロマテラピーの感じもある。
大半のものに香辛料が調合してあるのも特徴的。
上記のセロファンの夜以外では、
ラフィーユドゥベルラン(ベルリンの少女)
ダンブロン(ブロンドのスエード革)
グリクレール(淡いグレー)
ラルリジューズ(修道女)
ローセルジュルタンス(ルタンスの水)
このあたりが気になった。

不愉快なこと

うだるような暑さ

太陽の熱気

めぼしい服のない服屋

洋服屋さんの声かけ

近すぎる満員電車

目の前で発車する通勤電車

蠢く虫、近づいて来る虫

喋らなくちゃいけない相手

話したい人がそばにいない時

一生懸命に偉ぶって語る人を、わたしは祖母だと思う。お前の家はお前の生家じゃない、お前はここで結婚して子供を産むんだ、ここのひとと結婚するんだ、ここの家で暮らすんだと何度否定しても言った祖母と同じく、他人のことを考えず自分の主張を押し付けるために話すひとたち。こっちの話は聞いてくれないから、うんうんと聞く一定の動きをするしかない。

それを値踏みの材料にする人

死ぬときを考えた方がよいような現実

猫カフェに行きたいけど遠いとき

眼精疲労と片頭痛のときに耳をつんざく、駅前でがなり立てる騒音

ネットが死んでるとき

さくら

  • 桜のじゅうたん

わたしの住んでいるところも桜の咲き乱れる季節になりました。

以前住んでいたところで見かけた桜は白に近い色の桜の花びらで、それが散ってあたりを埋めているときは真っ白が余計に目立つものでした。

いま住んでいるところでは濃いピンクの花びらをよく見ます。

散って地面に落ちた花びらが道路やらを埋めている様は、以前見たものよりずっと華やかで、ああ春だなと思うのと同時に、秋に見た落ち葉の絨毯を思い出しました。

ただそれだけなのにとてもうきうきとした気持ちになる。

 

  • こわい月

真っ青のベールがかかって朧月。

いつもだったらうつくしいものを見たと思うはずが、海洋生物のようなおそろしさを感じた。

時が過ぎて、黄色い目玉焼きのような朧月。

たいへんおいしそうで、ただの夜空とそこに浮かぶ月だというのに色味のほんのちょっとの違いでこんなにも印象が変わって見える。

神秘がまだまだ月には残っているみたいです。

 

春告げ鳥

  • ねこを見た

猫が好き。

でもわたしは猫から嫌われる人種である。家族に猫アレルギー持ち(猫好き)がいることを考慮し、猫との接触は声や身振り手振りのみ。

虎猫を見た。うすい虎柄、でもがっしりもっふりした体型。おそらく♂。前に見た個体と同個体であればおそらくではなく♂。こちらの進行方向にいたため、あちらがうわっという顔をした後にしぶしぶルートを変更して行った。こういうことは非常に多いが、たいへん申し訳ない気持ちになる。猫マナーのできる人間になりたいもの。

三毛猫を見た。しっかりとした濃さの三毛で、残念ながら四足で立っている後姿を見ただけである。それでも猫のかわいさは減らない。増えるのだ。

 

  • 空飛ぶベッド

家族がDQ10をプレイしている。のを見る。ときどき。

ドルボードでの移動最中のBGMを変えることができるらしい。

空飛ぶベッドであった。たいへんなつかしい。わたしの子供の頃の思い出である。レベル上げに失敗して結局クリアはできていないゲームだが、サウンドトラックを購入し何度も聴いた。

オーケストラのアレンジが変わってない(同一曲?)、なんて懐かしいんだろ。

DQは全シリーズを知っているわけではないが、おどろおどろしい所のある音楽が大好きだ。スライム相手に瀕死になるのではないかとこちらがびくびくする、この先に強敵が急にあらわれやしないかとどきどきする怖さと、うっとり聴き入る優雅さが両方とも入っている音楽。

 

茶色く丸いつぶが先についた枝が、よく見たらつぼみになっていて、そのつぼみは黄緑とピンクのつぼみであって、既に咲き始めた姿が見えていた。

この樹も春の花だったのか、と気づく日々。

 

  • ほけきょ

現在住んでいる場所は春~夏にかけて鳥の鳴き声で朝目覚めるときもある。

鳥の声で目覚めるってきっと優雅やろうなと思っていたが実際はまあ、どうだ…

数日前、朝の支度をしているとうっすら開けた窓から「ほーほけきょ」の声がわりと近くから聞こえた。

こちらの姿も、あちらの姿も見えない。けれど音、声だけは聞こえるのだ。

ああこんな時期なんだ、冬の頃は一切聞かなかったなあと思って、いい加減な音程としゃべりで「ほーほけきょー」なんて鳴いてみた。

するとこたえるように外からも「ほけきょ」が聴こえる。

続けて鳴くと、さらにまた。

まねっこをしていると言っても、鳥の方が何段も上手のしゃべり。

わたしの思い込みだろうか。少しそうやって言い合いっこをした。その後はごはんやら他の支度をせねばならなかったので窓のある部屋から移動したのでわからない。

鳥の生態を知っていれば「ほけきょー」は決して遊びで言っていいものではないと思う。思うが案外たのしい。

 

春のつぼみ後日談

  • 後日談の春のつぼみ

あともう少しでほころびそうなつぼみの後日談。

ふと見たら咲いていた。

事前に調べた情報によると、コブシの花の条件に多く当てはまるようなので、コブシ。

コブシとハクモクレンは似ているらしい。

わたしが以前見たハクモクレンは花がひとつふたつ咲いたらいいぐらいの小さなものだったけれど、ハクモクレンの樹ではないかというのを最近見かけた。

一本の背の高い樹に真っ白い、楕円型の花がいくつも咲いていた。ちょっと壮観。

 

  • 眠気

睡眠時間が極端に短いわけでもないのに仕事中に泥のような眠気がきて、もうどうしたらいいかわからなくなって、グーグル検索。

これか?とあてはまるものがあったので常備していた胃腸薬を飲んでみた。

あくびはまだ少し出たけど、泥のような眠気がなくなってからだも軽い。

アミノバイタルを薬を飲む前に飲んだからかもしれない。小さい頃から胃腸が強くない体質でもあるし常飲してもいい気がしてきた。

春の気配

  • たぬきアニメ

京都を舞台に人ならざるものが、わちゃわちゃしているアニメ。

森見登美彦原作の「有頂天家族」を数年前観た。

元婚約者だのひきこもりだの親のかたきだの、わちゃわちゃしていて、アニメの表現もとても好きだった。

それがまた今年の4月から続編のアニメが放送されると聞いていまからわくわくしている。

原作は読んだことないけど、「夜は短し歩けよ乙女」の舞台も映像ではあるけれど見たことがあって、なるほど森見氏の京都といい、おじいさんとはこういうものらしい、というのはわかっているので、またおかしな京都が見れるというのは大変楽しみである。

だれかの生死まで関わるほどの大事件はすべておわってしまってから物語は始まって、だれかの口や語りからぽつぽつ漏らされるものでしか知ることができない。

たぶん。

わたしの記憶力があいまいなのと、一部見れてないところがあって確かにそうと言えない。

 

  • つぼみ

春の気配は眼から気づくものか、と近年はとくに思う。昔のわたしの眼には見えなかった景色でもある。

秋や冬に枯れ枝の見かけになった木々や、成長を止めたかのような葉ばかり見てきたけれど、ここ二ヶ月ほどつぼみが花開く様をよく見かける。

これは花の咲かない樹かと思っていたものが、手の指のように小さい枝を天に向かわせてそのさきの小さい丸粒が枝と同じ色からだんだんと緑に色を変化させながらおおきくなっていき、ついには花びらの色まで見えるほどになった。

白い花びらはどんな花を咲かすのか。

つい最近までは水仙(たぶん)が勢力を誇っていた様を見た。近くを通り過ぎてから鼻腔にむわっと香水のようなにおいが届き、振り返ればああ君だったのかと。

たしかナルキッソス…と思ってぐぐったら少し違うようで、コマドリと同じで文化のもとになるものの差は大きいとつくづく思う。

梅、桃、桜と目を喜ばせるはなやかなものが増えていく季節がまたきました。

 

  • 日本刀

数月前、両国の江戸東京博物館へ戦国時代展を観に行った。

手紙、鎧や兜、刀、などなどが一挙に見れるということで、これはぜひ行きたい!と行った。

念願の青い鎧にふさふさの羽根つき兜セットが見れたり、手紙にそれぞれ現代語訳がついていてくずし文字が読めなくても十分に楽しめた。

なかでも刀はおもしろかった。事前にこういう特徴がある、とおおまかに聞いていたものが生で見れる。

吉光は短刀が有名と聞いていたのでどんなものかなと思って今回は「短刀 銘 吉光 号 五虎退」を特に注目して見た。

チラシの写真よりも断然生で見た方が(といってもガラス越し)綺麗なものだった。端正で整っている、というのか…なんて綺麗な包丁だと思った。

実際は包丁でないしそうは使えないとわかっているけれど、包丁も刀も同じく鍛冶をしてできているんだなあと改めてそういうつながりを意識した。

ああいうのだったら当時の武将たちがこぞって持つのもわかる。わたしもほしい!

おなじく展示されていた「太刀 銘 安綱(鬼切)」も見た。横から見れば太刀特有のカーブがしっかりとわかった。

いわゆるアンティークとされるものや昔の建物が好きなのは、いまも残っているものは大概がその当時の大金持ちがその当時の贅を技術を尽くして作られたものが多いから。いまはその技術が失われていたり、当時の技術が見れたり、服の仕立て屋さんのような丁寧でしっかりとした造りを見れる、そういう楽しみがある。

 

 

ほし

とわたしが勝手に名付けている星がある。
星図表を見てもさっぱりわからないのでつけた。
小さい頃からパソコンに慣れ親しんできた世代なので、そういうことになった。
三つ等間隔に並んでいる星。砂時計のまんなかにも見える。


  • 最近なつかしいパソコンを見た

昔というか私が十代のころまでだったと思うけれど、パソコンというのは電源スイッチとリセットスイッチ(ボタン?)がセットでついていて、パソコンの電源をつけるときは電源スイッチで立ち上げて、パソコンの電源を落とすときは「電源を落とす準備ができました」と出てから電源ボタンをぽちっと押して電源を落とす仕様だった。それがいつからか、シャットダウンを選択すれば勝手に電源を落としてくれるようになって、リセットスイッチが消えた。
その「電源を落とす準備ができました」のパソコンを最近見た。
そういうタイプの郷愁に久しぶりに遭遇した。