一日の氷

溶けてしまう前に

学祭メシ

先日、東京農業大学、世田谷キャンパスの学祭『収穫祭』に行きました。
ついたのは昼過ぎ。人混みがすごい。
模擬店でおしること焼きそばを買いました。
おしるこは白玉が厚みのあるパンのようにもっちもち、外ふわふわ。汁があったかくて透明な上澄みまで甘くて小豆味。
焼きそばはモヤシがしゃしゃきしすぎずヘニャヘニャしすぎず、お肉は固すぎず旨みがあって、ソースの味が強すぎるわけでもなく麺はふわふわだし紅しょうがと合うし…
学祭の食べ物って雰囲気を味わうものと思っていたけど、すごくおいしかった。
来年も食べに行きたい。来年はもっと他のものも食べたい。

猫とあいさつ

仔猫がいた。
顔半分からのハチワレ黒白猫で、小さい体ながらも香箱座り、スフィンクス座りを草むらからにょきっと生やす仔猫だ。
最初は人がそばを通るだけで奥へ引っ込んでしまっていた。
ある時から人を選んでいるけれどこちらを恐れなくなり、
ある時からこちらを認識したら「にゃーあああー」と鳴くようになった。
最近は出逢うと人間と仔猫で鳴き交わしをする。
仔猫がどんな気持ちで鳴いているかはわからないけれど、それでも楽しい気持ちになった。

蠢く話

家にたまに黒いやつが出る。
たとえば外気温の高い日。空調の効いてる住居内へカサカサ。
たとえば外気温の低い日。暖房のある住居内へカサカサ。
それ以外では見掛けない。

人間がつらい外気温のときにはやつらもきついのかな、
とやつらの事情を考察する一方で、
シェルター代わりにされてるのかな、
とやつらへの嫌悪感が募る。

親知らず

親知らずを抜歯した。
下の左側の親知らずが横向きに生えていてかつ頭が少し出ているせいで、隣の歯との間に虫歯を作っていた。
じゃあ虫歯を削るか、親知らずを抜くか。どちらにするか。
ということで救急医療もやっているような総合病院で抜歯してもらいました。

いま大体抜歯して三日ぐらい。
麻酔の注射と、抜歯のために切開した歯茎が一番痛かった。
そのせいか、そのあたりが今も顔の形が変わるぐらい腫れていて、いつ腫れが引くのかさっぱり読めず不安。
ご飯は噛むなと言われて、ゼリー飲料とおかゆ等で凌いでいるけど飽きてきた。
お肉食べたい

いい日

道中不快な思いをした。
車内の誰かを中傷する、あたまのやばい人たち
着飾っているけどそれも霞むやばさ
はやくどこかへ行きたかった。

でも、今日という日が、ああもうあと二時間で終わるんだと惜しむ気持ち、郷愁のような気持ちになった。
今日は明日は早く過ぎますようにといつも願っていた。いつも死ぬことを考えて、それはメメントモリではなく終幕を待ち望んでいるからであって、楽しい気持ちより決定的な絶望失望の方がどんな時も底の方に、床に、横たわっているからで、私の人生を彩るなかで普通の人のような喜びはどんだけあるかなと考えてるのと同じで、どうしても叶わない「ふつう」が耐えがたい苦しみであるから。
だから今日楽しそうにしててよかった、私もとっても楽しかった、なのに終わってしまうんだと、過去になってしまったんだと少し、愛しいものが電車を降りていった時のさみしさを感じている。
全くの他人で、私はただのファンで認識だってされてないだろうけど、それでも今日は、終わるのが惜しい日になった。
いい日になった。

ずっと好きなアーティストのライブに行きました。

ばら

薔薇の香りを好きになれたのは大人になってから。
生花の薔薇の狂おしいほど甘い匂いを嗅いだ子供は、そのあと花が苦手でたまらなかった。
見るのはいいけど、嗅ぐのはねと避けていた。
大人になってからある日、久しぶりに花を描きたくなった。描くなら本物を見て描けという教えを思い出して、何年かぶりに生花を家に飾った。
空気の流れに乗った花の香りを何年かぶりに嗅いだとき、なんていい匂いだろうと思った。

サンタ・マリア・ノヴェッラ
ローザ

イタリアはフィレンツェのブランド。
「柑橘系の入ってないフローラルノートはどれですか?」とたずね、いくつか紹介してもらったなかで、いちばん心地よかった匂い。
開いた薔薇に顔を近づけた時のような幸福感があった。
わたしの肌に乗せると、途端にそれは甘く瑞々しい、茎をうんと伸ばして花びらを開けた薔薇の香りへと変化。

憂鬱な日の支度のとき、お風呂に入る前、ミニスプレーに移したローザを胸元につけている。
特別なかおり。